今日は節分ですね。元々節分とは季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指してたそうですが、特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなったそうです。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」という事です。皆さんは豆まきしましたか?
私は、京都から帰る前に節分の行事をしている“壬生寺”に寄ってきました。ここでは、素焼きの炮烙(ほうらく)に家族知人の年齢・性別・願いごとなどを墨書して奉納するという、風習があるそうで、いっぱいほうらくを積んであるお店を見ました。というう事で、ほうらく屋さん!?をパチリです。
そして、壬生狂言(みぶきょうげん)の『節分』が上演されます。壬生狂言は、円覚(えんがく)上人(しょうにん)が、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行い。この時に上人は、拡声器などがない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説く方法として、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えつき、これが壬生狂言の始まりとなったそうです。この公演をしている舞台はお外にあったので、今年一番の寒さ!?ともいわれる今日は、かなり凍えながら見てきました。
by kyoko
私は、京都から帰る前に節分の行事をしている“壬生寺”に寄ってきました。ここでは、素焼きの炮烙(ほうらく)に家族知人の年齢・性別・願いごとなどを墨書して奉納するという、風習があるそうで、いっぱいほうらくを積んであるお店を見ました。というう事で、ほうらく屋さん!?をパチリです。
そして、壬生狂言(みぶきょうげん)の『節分』が上演されます。壬生狂言は、円覚(えんがく)上人(しょうにん)が、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行い。この時に上人は、拡声器などがない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説く方法として、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えつき、これが壬生狂言の始まりとなったそうです。この公演をしている舞台はお外にあったので、今年一番の寒さ!?ともいわれる今日は、かなり凍えながら見てきました。
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